斑鳩町キャンペーンレディが小田原市にお出ましになる理由とは?

第52回小田原北條五代祭り
関連イベント 第21回小田原城名物市
主催 小田原城名物市開催協議会 小田原市経済部産業政策課
日時
2016年5月3日(火祝)10:00-17:00
2016年5月4日(水祝)10:00-17:00 ← 訪問日
場所 小田原城城址公園二の丸広場
交通 小田原駅(JR東海道線・東海道新幹線・小田急小田原線・伊豆箱根鉄道大雄山線・箱根登山鉄道)から徒歩圏内

 朝早いうちは雨混じりの強風でしたが、昼前には風も止み快晴に。
 強い日差しが照りつけ気温もぐんぐん上昇の小田原城。

小田原城二の丸御殿跡(第52回小田原北條五代祭り 小田原城名物市)
 県民としてはここに来ていただけるのはとても嬉しいのですが、なぜでしょう?
 
 
小田原城(2016年5月)
 ほなお答えします。このお城ができるはるか前の話。

 倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう 和名類聚抄とも表記)によると、相模国(さがみのくに)の足下郡(あしのしもぐん あししものこほり)には、高田郷・和戸郷・飯田郷・垂水郷・足柄郷・駅家郷があったそうですわ。
 倭名類聚抄いうんは平安時代の日本の地名総覧みたいなもん(ちょっとちゃうかも 笑)。

 足下郡は今の神奈川県足柄下郡と小田原市あたりとちゃうやろか。郷(ごう さと きょう)は今でいう郡の下の村や合併前の小さな町に近いもんやと思うてます。

 ちなみに、和戸郷の和戸は「わど」とルビ振ってはる人もおるんやけど、奈良文化財研究所はんは和戸(倭戸とも表記)の読みは「やまとへ」としてはります。
 地名からして奈良との縁を感じさせますなあ。

 倭名類聚抄がいうには、その和戸郷が法隆寺の封戸(ふこ)となっとった。封戸いうんは皇族とかの偉いさんやそれに近いお寺さんの給料でんな。
 つまり、法隆寺の封戸に指定された和戸郷の人らは、中学校の歴史で習うた租庸調やと。
 なんで人やら世帯やらが偉いさんやお寺さんの給料やねんと思うんやけど、まあ言うたら「強制ふるさと納税制度」やな。
 あんたらは奈良のお寺さんのもんやから相模国や郡の役所やのうて直接奈良のお寺さんに生産物や人足を納入せえやと。

 給料そのものだけやのうて、制度自体のことも封戸と言うことがあるようで、さらには、封戸に指定された郷のこともまた封戸ということがあるようでんな。ちなみにWikipediaはん曰くこの制度によって実際に行われたことを「食封」(じきふ)ともいうことがあるんやと。

 そもそも和戸郷てどこや。正確な位置は不明やけども現在の小田原市に含まれてるんやないかということになっとって、こんどー君のホームページはんやと、小田原市早川ちゃうかと推測してはります。
 早川いうたら今では漁港があってミカン畑でも有名やけど、奈良や平安の時代にはどちらもあれへんかったと思う。傾斜地で米もできんやろ。山に入ったり海に出たりして、苦労して何か都合しとったんかな。お寺さんやったら生臭いもん納めるわけにはいかんし、途中で交換したりして面倒やったろう。
 人出貸しで奈良に行って首都の最新のファッションや教養を得て小田原に戻って来た若い衆はモテモテやったんやろうか。そもそも帰って来れたんか。ようわからんけど。

 参考文献は上記リンク先の各サイトはん(えろうおおきに)

 と、長い文章をすっ飛ばしてここまでスクロールしてきた皆さん正解です。まとめますと。
・古代、有力者や有力寺院は、給料として封戸を与えられていた。
・封戸になっていたのは、郷という町の単位。
・「封戸を与えられている」とは、封戸となった郷から直接収税する権利を貰っていたということ。
・郷から納められていたのは生産物や人足。
・そのような制度で行われたことを食封ともいう。
・現在の斑鳩町にある法隆寺の封戸となっていた和戸郷は、現在の小田原市にあった。

 つまり今の小田原市の早川あたり、相模国の足下郡の和戸郷の人らは、収穫したもんや労働力を遠い奈良の法隆寺に持ってかれとったんや。

 そんなわけで、1千年の時を経て、毎年福島県の郡山市には奈良市からミス奈良はんがやって来てすまんかった言うて采女はんを供養してはりますが、似たようなもんで(全然ちゃうとか突っ込んだらあかん)、小田原市にはキャンペーンレディはんが斑鳩町からお出ましになるいうことです。

初代斑鳩町キャンペーンレディの吉川奈央さん(小田原城址公園二の丸広場)
 初代斑鳩町キャンペーンレディ 吉川奈央さん

 せやけど郡山市とえらいちゃうとこは、ここで出迎えて一緒に仲良う活動するはずのミス小田原はんはとうの昔に姿を消してはって、ここ小田原城名物市では、斑鳩町キャンペーンレディはんが孤軍奮闘してはるいうところですわ。

斑鳩町のブース(小田原城名物市)
 世界的に有名な法隆寺があって観光客や修学旅行で潤っとるはずなんやけど、「法隆寺の」の枕詞があらへんかったら関東地方での知名度がゼロに近い斑鳩町。宣伝は低姿勢、体制は質素で、町長はん自らも来場と、お金はつぎ込まんけど労力は惜しまんで、肉声と礼節によってPRを成し遂げるとこが素敵なん。

初代斑鳩町キャンペーンレディの吉川奈央さんとパゴちゃん(第52回小田原北條五代祭り 小田原城名物市)
 元気のええ町職員の兄ちゃんが自らハンドルを握らはって荷室にパゴちゃん積んで乗せて車ではるばる斑鳩町から小田原市にやって来るとことか想像したらそら萌えますわ。
 
 
 
おまけやねん
らほつ饅頭のパッケージ
 法隆寺は小さい時分に行ったきりやけど、斑鳩町はんのブースにこんなんありましたんで買うてみました。

らほつ饅頭の外観 見ても何とも思わんかったけど、口に入れたら味で気い付いたわ。最初は食うたことあらへんと思うとったけど何や子供のころ食うたことある気がするに、

 揚饅頭(あげまんぢゅう)くへば 思ひ出すなり 法隆寺 (字余り堪忍)