横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム

横浜開港祭親善大使は2022年で何代目か?

(タイトル画像はもちろん架空の合成ものです。笑)
 
 えー、掲題の件は実は2年以上前に気になって調べたことなのでありますが、外注内注のイラストがようやく出来上がってきまして、やっとのことでここに記事化できるのであります。
 
 それはそうと、
 
 おおー。
 
 
第41回横浜開港祭のプロモーション活動を行う親善大使の皆さん(JR桜木町駅前)
 今年もまたこの季節がやってまいりました。
 
 
横浜開港祭親善大使(2022)の濵本有紗さん 左はハマー君(JR桜木町駅前 横浜市中区)
第41回横浜開港祭親善大使 濵本有紗さん 左はハマー君
 
 早速お出ましになられています。
 
 一方で、毎年この季節になってまいりますと、ここぞ知名度向上の絶好の機会と『初代 横浜開港祭親善大使』を名乗られる人のSNS更新が慌ただしくなってくるのであります。

 リンク先に『20代の頃は、初代横浜開港祭親善大使を拝命して、横浜の港のすばらしさをPRさせて頂きました』とあります。それがいつか判明すれば、今年で何代目かを把握できるのですが、いかんせん、第何回なのか西暦何年のことなのか、一切触れておられないため、即座には分からない仕組みとなっています。
 
 
横浜開港祭親善大使の森川光愛さん、牧口奈央さん、山本かれんさん(JR桜木町駅前 横浜市中区)
第41回横浜開港祭親善大使 森川光愛さん 牧口奈央さん 山本かれんさん
 
 ただ、毎年衣装が異なるので、「初代」を名乗る方の親善大使当時の写真において身に着けておられる衣装が何年のものであるのかが判明すれば、初代が何年であるのかも分かるはずです。
 
 ということで、順を追って見てまいります。
 
 
横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム(2022年-2018年)
 この辺はまだ当サイトにも記憶に新しいところです。
 
 
横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム(2017年-2013年)
 2015年以前は、街頭や開港祭当日で親善大使さんを拝見したことはありません(横浜駅近辺で見ていないことはないはずですが、記憶はありません)。と申しますか、当時は親善大使という呼称を知らないどころか、街頭で携帯電話やコンタクトレンズのチラシを配っているお嬢さま方との区別がなく無関心な存在でありました。2014年以降のお衣裳は2022年に至るまで横浜市内にある服飾専門学校(岩崎学園fカレッジ)の生徒さんによる制作と認識しております。
 
 
横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム(2012年-2008年)
 2010年の衣装は、過去の記事で触れました通り、青色と白色の位置が反転した意匠のものもあり、それぞれ市販制服であるところのU-FACTORYのA50450とA50451のそのまんまコピーでありまして、親善大使さんは半数ずつ「青-白」と「白-青」のお衣装を着用しておられました。なお、背景画像には「桜木町駅」に展示されている「櫻木町駅」のミニチュアを使わせていただきました。
 
 
横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム(2007年-2003年)
 ここまで遡りますとネットでの資料集めも難しくなってきますが、ようやく2006年の第25回が「初代」のお衣裳と一致します。いや、この年は、お衣裳と言っても市販の制服でもオリジナルのデザインやコーディネートでもなく、「開港祭関係者のブルゾン」を身に着けているだけです。
 
 
 2006年当時の写真を見ると、帽子の着用もなく、ボトムも白色の自前(大部分がスラックスで、一部にワイドパンツかロングスカートらしきものも)となっています。
 
 一方で2005年以前のお嬢さま方はお衣裳を身にまとっておられるので、「2006年の横浜開港祭親善大使の初代のみ衣装がなかった」ということになりそうです。
 
 ただ、当時は例えば2009年の募集人数は25人にもなる大所帯であったことから、金銭的にしばらくポロシャツやブラウス等の簡素なお衣裳が続いた事情も分かるような気がします。お衣裳の高級化に伴って募集人数も減少していったらしく、近年の募集は10名台です。
 
 
横浜開港祭親善大使の歴代のコスチューム(2007年-2006年)と横浜開港祭キャンペーンスタッフ(2005年以前)の歴代の制服
 では親善大使と呼ばれる前の呼称はどのようなものであったかと言うと、「キャンペーンスタッフ」なのだそうです。
 
 2005年の開港祭のブログが残存しており(2022年3月末現在)、それを見ますと、キャンペーンスタッフの役務の内容は親善大使とほぼ同じです。2005年のキャンペーンスタッフの応募資格も『高校生を除く18歳以上40歳までの女性』と、2006年の親善大使の応募資格と同じです。つまり、2006年は呼称を変えただけということになります。
 
 2005年のキャンペーンスタッフさんの文章の『すごく可愛い!!』『私も着てみたいな~』『でも丈が短いな~』から、お衣裳が若い女性にとっての羨望の対象になっているという点では現在の親善大使と同じと感じます。しかし、2006年の親善大使化によって(一時的に)『可愛い』お衣裳を無くしてしまったことには当時の何らかの事情があったのでしょうか。前年前々年のラップスカートがミニ丈でエロいという批判が外部から寄せられたとか、衣装を作る予算が取れなくなったので格式の感じられる呼称に変更してモチベーションが下がらないようにしたとか‥。
 
 と長くなりましたが、2006年の第25回が「初代」なので、2022年は17代目ということでした。
 
 
横浜開港祭親善大使の設樂明音さんと牧口奈央さん(JR桜木町駅前 横浜市中区)
(左)第41回横浜開港祭親善大使 設樂明音さん
 
 なお、応募資格は以下のように変遷しています。
 
横浜開港祭キャンペーンスタッフ
2005年 18歳以上(高校生は除く)40歳までの元気で明るい女性

横浜開港祭親善大使
2006年 18歳以上(高校生は除く)40歳までの元気で明るい女性
2008年ごろ 18才以上(高校生不可)の明るい女性
2019年 18歳以上(高校生不可)29歳までの健康で明るい女性
2022年 18歳以上(高校生不可)29歳まで
 
 キャンペーンスタッフから親善大使になってしばらくして「40歳まで」だった年齢上限がなくなり、2018年まで継続。
 

2019年の横浜開港祭当日にステージMCで活躍する横浜開港祭親善大使の小林櫻子さん、羽生みな美さん、釣谷珠美さん(第38回横浜開港祭 横浜市臨港パーク)
2019年の横浜開港祭当日にステージMCで活躍する横浜開港祭親善大使の小林櫻子さん、羽生みな美さん、釣谷珠美さん(第38回横浜開港祭 臨港パーク)


 2019年に年齢上限が再び設定され「29歳まで」となったのは、同年のお衣裳が2000年一桁台に舞い戻ったかのような超ミニ丈になったため、以降はもう30歳以上には酷だろうというご配慮だったのでありましょうか。そして2022年に「SDGsやってるぜ自慢」との整合性のため、表向き性別制限が撤廃されたことは、過日の記事にて既報の通りであります。
 
 ところで、
 
 
(左)横浜開港祭親善大使の森川光愛さん(右)同 牧口奈央さん(中央)横浜開港祭実行委の阿部美里さん(JR桜木町駅前 横浜市中区)
(中央)横浜開港祭実行委員会さん
 
‥真ん中の私服のお嬢さまが一番親善大使っぽい(笑)ですが、それもそのはず、ネットでネタを探していたときに見かけたかもと思い、お聞きしましたところ、2011年の第30回横浜開港祭親善大使であらせられるとのことでした。東北地方太平洋沖地震「3.11」以降の2011年内は、海沿いのこの辺り一帯は液状化で車道も歩道もぐにゃぐにゃに波打っていたはずなのですが、開港祭は万障を乗り越え見事行われていたのであります。
 
 

 
 上の写真の中から当時の華麗なお姿を探してみましょう(笑)。って実はお名前の掲載もご了承いただいているのですが。難しすぎるという貴方にはこちらにヒントがあります。
 
 
横浜開港祭2022のSNSアカウントをPRする第41回横浜開港祭親善大使の森川光愛さん(左)と 牧口奈央さん(右)と第30回横浜開港祭親善大使の阿部美里さん(中央)- JR桜木町駅前(横浜市中区)
 この日は親善大使さんのマネージャー役を担っておられ、今後報道対応もなさるのではないかと存じます。表に出てこない多くの方々のご尽力があってこそ、当サイトのような外野は催事を楽しませていただくことができるのであると改めて認識し感謝いたします。にしても現役への良きお手本となるいい笑顔(笑)。
 
 
第41回(2022)横浜開港祭親善大使の森川光愛さんと山本かれんさんは開港祭LINEアカウントを絶賛告知中(JR桜木町駅前 横浜市中区)
 そしてこの日のKPIは開港祭LINEアカウントのフレンド増加数であった模様で、大声での呼び掛けが出来ないという結構な制約がありながらも、懸命に獲得機会を得ようと励まれる親善大使の皆様であらせられました。
 
 
 と、これで締めようと思ったのですが、続きがありまして、この時点では2022年の開港祭は6月1日と2日の2日間とお聞きしていました。

 ところがその数日後、6月2日の1日間だけに変更されてしまいました。
 
 表向きには『現在の新型コロナウイルス感染拡大の情勢を鑑み、6月2日のみの開催とさせていただく事となりました』(公式サイト)としておられます。しかし、実際のところ、日程短縮公表時の感染者数は開催決定の発表時よりも減っていまして、コロナ騒動後にあちこちで大人の事情を隠すのに乱用多用される「感染拡大防止のため」と同じく、本心は察してくれというところでありましょう。
 
 ところで、2021年8月に横浜市長選が行われたのでありますが、当時現職のIR(賭博場を核とする行楽保養施設)の市内設置推進派市長を全力で支援するため、選挙期間中に以下のような全面意見広告を出しておられたのでありました。

横浜市でのIR設置推進の決意を示す有志団体による意見広告の抜粋(神奈川新聞ほかより)
横浜市でのIR設置推進の決意を示す有志団体による意見広告の抜粋(神奈川新聞ほかより)


 投開票後のノーサイドや手打ちでは済まないかも知れないような非常に大きなリスクを伴う行動でして、その時は開港祭実行委のメンバーと重なる有志の方々の覚悟を感じました。
 
 しかし結果はご存知の通り、IR反対派の候補に負けてしまったのであります。

 当サイトのような外野の素人は、日程短縮圧力くらいの仕打ちならまだ軽い、中止にならないだけでもありがたい‥と思わないといけない、と言ったところでしょう。開催場所の土地の現在の権利者が一番強いんでしょうねえ。
 
 不変であるがゆえの「信念」であるのか。それとも変えたほうがよい信念と言うのはあり得るのか。うーん判然としません。
 
 
(おことわり:当記事のご氏名の表記は、追って公式サイトにおける表記に合わせて修正させていただくことがあります。)