新潟産直市(JR上野駅 2022年10月)

五感体験型 新潟産直市
主催 東日本旅客鉄道新潟支社
日時 2022年10月25日(火) 10:00-20:00
  ~2022年10月30日(日) 10:00-18:00
場所 JR上野駅中央改札外グランドコンコース
交通 上野駅(JR東北本線 東京メトロ銀座線・日比谷線)京成上野駅(京成本線) 歩0-3分
 
 
 この日3件目の催事訪問であります。JR上野駅に移動しました。
 
 

 
 ここには日替わりでしかるべき方々が降臨されるようですが、
 
 おおー。
 
 
第13代にいがた観光親善大使の高橋まりあさん(「新潟産直市」JR上野駅)
 お出ましになられています。
 
 「ミスはこだて」、「ロマン長崎」、「横浜観光親善大使」と開港5港の公共プロモーションガールが相次いで廃止となりましたが、こちらは今年も無事に募集選考が行われ、ここに降臨しておられるのであります。
 
 
Maria TAKAHASHI, Niigata Tourism & Goodwill Ambassador the 13th - にいがた観光親善大使の高橋まりあさん(「新潟産直市」JR上野駅)
 ただ、新潟市ではまだコロナクレイマー・マスク警察のカルトが勢力を維持しているようでして、絶対にマスクは外せない旨仰せでした。
 
 で、「顔が見たければこれを見てくれ」(意訳(笑))と、こちらのお名刺を渡してくださいました。
 
 
第13代にいがた観光親善大使の高橋まりあさんのお名刺(「新潟産直市」JR上野駅にて頂戴)
 第13代にいがた観光親善大使 高橋まりあさん

 新潟市の観光コンベンション協会さんに限らず全国各地の観光商工団体さんに出過ぎたことを申し上げますと、以前海外との取引があったときに先方からよく言われた小言に「ところでお前はどっちが first name でどっちが family name なんだ?」というのがあります。

 これは会社の印刷する名刺の英字表記の瑕疵に起因するものなのですが、元を辿れば外務省の官僚がパスポートの英字表記を名-姓から姓-名と逆に変更したことが混乱を招いた諸悪の根源です。欧米人は、G7下位はおろかアベノミクスのせいで韓国にも負ける貧乏国に成り下がった小さな国の慣習やその変更なんぞをいちいち知ろうとはしてくれません。
 
 おぞましくもインバウンド需要を取り込みたいと意気込んでおられ、かつどうしても名-姓の順で表記したくないのならば、国際放送のサブタイトル(テロップ)のように文字サイズを変えて
TAKAHASHI MARIA
とするか、あるいは小文字を使用して
TAKAHASHI Maria
とすることをお勧めいたします。
 
 と思いつつ先を急ごうとしますと、
 
 
糸魚川市(新潟県)のPRに活躍する「ヒスイレディ」伊藤彩乃さん(「新潟産直市」JR上野駅)
 おおー。
 
 
糸魚川市(新潟県)「ヒスイレディ」伊藤彩乃さん(「新潟産直市」JR上野駅)
 降臨しておられます。
 
 
Ayano ITO, Hisui (Jade) Lady the 30th, a promo girl for Itoigawa City tourism - ヒスイレディの伊藤彩乃さんは糸魚川市(新潟県)の観光資源PRに活躍(「新潟産直市」JR上野駅)
 第30代ヒスイレディ 伊藤彩乃さん

 新潟県の西端近く、糸魚川市からのご行幸であらせられるようです。
 
 

 
 ならば糸魚川市の物産を買い求めなくてはと思い、ヒスイレディさんに問いますと「物産の販売はなく、今回は観光PRのみ」と仰せでした。え? それは残念。
 
 
「ヒスイレディ」伊藤彩乃さんは糸魚川市(新潟県)の観光資源PRに活躍(「新潟産直市」JR上野駅)
 どういうことかと考えてみますと、この催事の主催はJR東日本さんで、産直市は同社新潟支社系の商社子会社さんが取り仕切っています。
 
 そして、北陸新幹線の駅もある糸魚川駅は、JR東日本ではなく、JR西日本の縄張りとなっています。そのようなJR東日本の沿線ではないので取引もないという大人の事情で糸魚川市の物産販売がならずということと理解しました。
 
 
糸魚川市(新潟県)「ヒスイレディ」伊藤彩乃さん(「新潟産直市」JR上野駅)
 ということで本来であればひすいまんじゅう(?)の写真がここに掲載されるところ、日本の鉄道150年ということで、大昔の豪雪の夕刻に糸魚川に立ち寄ったときの1枚を。ガラケー(←死語(笑))にて撮影。
 

糸魚川駅に停車中のJR西日本の気動車「キハ52」(2010年2月)
糸魚川駅に停車中のJR西日本の気動車「キハ52」(2010年2月)


 大糸線(新潟県・長野県)を走行していた「キハ52」は、廃車となったあとも1両が糸魚川駅前に保存されているそうで、平成まで生き延びた昭和時代の名車だったようです。