水海道千姫まつり(現・常総千姫まつり) 天樹祭
主催 弘経寺 常総市教育委員会
日時 2018年4月8日(日) 10:00-16:00
場所 弘経寺(茨城県常総市豊岡町甲1)
交通 水海道駅(関東鉄道常総線)から無料シャトルバス
またこの季節がやって来たわな。
地元の娘はんたちが墓参りしてくれてはるけど、わらわは毎年この時期になると彼岸から現世に帰って来るんじゃ。
左様なわけで、1年待ち遠しかった還相回向の真似事を暫時させて貰おうぞ。今年は童女時代のわらわにクリソツなこの者に乗り移ったろかの。
「『こうけいじ』ってどこにあるの?」との無学な素人写真師の問いに、一言「ぐぎょうじ♥」と返してなかなかナイスじゃった(笑)。
弘経寺ちゅう同じ名前の寺が同じ茨城県に3か所あるから、各々方の鉄の車に付けておる機械仕掛けの地図を頼りに来るときには間違えんようにの。もちろん、読みはいずれの弘経寺も「ぐぎょうじ」なるぞ。
寺の名前が同じなんは偶然やのうて、弘経寺(取手)と弘経寺(常総)は、同じ偉いお坊さんが室町時代に創建した兄弟寺や。弘経寺(結城)は、常総の弘経寺が戦国時代に焼かれて周りが荒廃したときに結城に移転した同じ寺やったが、安土桃山時代に常総が再建されたときに完全再移転はせんと結城にも残ったんで、都合3つの弘経寺があるということじゃ。
申し遅れてかたじけのう、わらわは千姫。徳川家二代将軍・徳川秀忠とその継室・江(ごう)の娘なるぞ。
徳川家康の孫、父が二代将軍、弟が三代将軍や、控えい。
そんなおなごとしては最高の血統ゆえ、小さい時分から豊臣家に嫁入りさせられて人質、大坂夏の陣では豊臣家もろとも自刃か焼死の一歩手前まで追いつめられてと、これでもかと言うくらい酷い目に遭うねん。
二度目の嫁ぎ先ではええ旦那様に恵まれたんやが、長男・幸千代は夭折、播磨姫路藩とお城を継ぐはずやった忠刻様も早世と、幸せはほんの一時に過ぎんかったんじゃ。
そういうこともあって、皮肉なもんで悲劇の女主人公ちゅうことで姫路でもえろう人気があって、毎年千姫のお輿入れの行列とかが行われとうみたいや。
姫路では姫路の土地のこの娘はんが千姫役を演じてくれるんとちゃうかな、今年か来年かはわからへんけど。ほんで、後ろのしろまるひめはんは、千姫ゆかりの地同士の交流や言うて常総にも来てくれると思うで。
斯様な因果にて伏見桃山城(出生)→大坂城(結婚)→桑名城(結婚2度目)→姫路城(国替え)に移り住むに至ったということで、上方の標準語を喋っておるという次第じゃ。
さりとて徳川家に出戻りになったら江戸では忠刻様との間にでけた勝姫と二人でひっそりと暮らそうかと思うとったが、何や凄い厚遇ぶりや。
勝姫が嫁に行った後は寂しかろうと家光がえらい気を遣うてくれて、家光の三男の綱重を養子にくれて教育係をやらせてもうたりしたんやが、元服したらまた独りで、召使いとお金をようさんあてがわれてもやることあらへん。あとはもう天樹院と名を変えて仏門にどっぷり浸かってお寺はんにお金を使いまくって戦のない平和な世が続くことを願い祈りに祈って生涯を終えたということじゃ。
せやから弘経寺の天樹祭ののぼりにも、でっかく徳川家の家紋が描かれておるやろう。
常総の弘経寺のわらわの墓には遺髪が納められてるということになっとって、それはその通りやけども、最近になって骨も納められとるんが見つかったらしいで。
墓の参拝後は、地元常総市の各界最高位の方々が献茶式を催してわらわに茶を立ててくださるそうじゃ。
弘経寺(常総)檀家代表の飯田芽依さん
関東鉄道社長の松上英一郎さん
常総市観光物産協会会長の熊谷昇さん
常総市商工会会長の生井邦彦さん
常総市長の神達岳志さん
極楽寺(常総)住職の近藤上人
取材ご協力 弘経寺(常総)はん えろうおおきに
檀家代表のおみなは先々代(第14代)の常総市観光大使千姫さまでもあらせられ、祭りの日はこのようなお召し物で参拝客をもてなされると仰せじゃ。
天樹祭の導師は弘経寺のご住職ではなく同じ浄土宗の別寺の高僧が務められるそうで、この年は市内の極楽寺のご住職がお導きくださるそうじゃ。当日は境内のほか町なかにもこれも同じ増上寺系のお坊様方が托鉢に回られるので、水害復興支援のためささやかでも寄進を忘れんようにの。
おお、ええお茶の香り。お茶菓子は何やろ、楽しみやな~。
こりゃ、そこの写真師! そこは偉いお坊様の座らはるとこやぞ! 無礼な曲者じゃっ! 出会えっ!!ドタトタドタうわ何をするちゃんと観光物産協会さんとお寺さんの許可を受けて本堂に入っtグザッ、ズバー。
(当記事はフィクションやさかい実際の祭事や写真とは少しちゃいますねん笑)